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①音楽キャリア

 

1962年9月1日、東京目黒区緑が丘で生まれる.

クラシック好きの親父の影響で週末はもっぱらクラシックレコード三昧の幼少期。小学校時代はフレンチポップスと歌謡曲に狂い、中学からクィーン&ビートルズにはまり同級生たちとバンド初体験。太陽にほえろ!サントラに劇中歌にバンドの真髄を発見する。その後、洋楽を徹底的に聴きあさる。中学でハードロックに飽き、ピーターガブリエル在籍のジェネシスに出会い、今の音楽の発想の根っこが出来上がる。プログレに狂い、シアトリカル音楽、映像的な音楽にはまる。大学中は諸先輩の影響でそこから大脱線。ジャズからブルース、ソウルなど黒人系の音楽や、クロスオーバー、ベーシストとしてテクニック磨きにはまる。かねてつおかげ様ブラザーズ全盛期のベーシストとして修業。プロに片足をつっこんで業界にもまれるが、全然向いていないことを悟り、おかげ様ブラザーズ脱退とともに一旦プレーヤーの道をあきらめる。神のささやきにより初代ライブスポットラグ店長となる。このさらに修行時代(1988-95)は自分の音楽の道は通行止め立ち入り禁止にしたままインプット脳に切り替えて、ミュージシャンの管理、マネージャー、店のおやじ業に没頭する。そしてラグチーム脱退とともに基地アマチュアインディーズのメッカ、ネガポジを立ち上げ(1996年)基地づくりに没頭する。足場も固まり軌道に乗った3年目からアウトプット脳に切り替えて念願の初のオリジナルバンド、ウォーラスを結成し、もうカバーもインストも絶対にやらない、完全オリジナルの歌ものというしばりで、再び自分の音楽キャリアをスタートさせる。
それはそれは遅いスタート1999年、37歳の時であった。
初めて作詞作曲を手掛け、狂ったように曲作りに没頭。3年ほどやって形を作るが、手塩にかけて育てたフロントマンに逃げられる事件をきっかけに一旦ウォーラスを解散。表現太郎と名乗り、自分で作った歌は自分で歌うというビートルズの発想に帰り、ついに自分で歌うというキャリアをスタートさせる。
なんと遅咲き2005年、43歳の時であっ
た。

そこから一年に一枚のアルバムをリリース、ソロからイノッチという初心者シンガーを育てプロデュースしたアニマリオペレッタ(2009)、清水彩月とのピエモンテルノ(2010)とヒノヒデキ、岡部わたるとの新生ウォーラス(2010)で頻繁に名古屋、東京ツアーを決行、大忙しの表現アウトプットの日々を送り、表現太郎11歳の2016年、ついに表現太郎トリックモンド(バイオリン、チューバ、パーカッション)というバンドをたちあげ表現太郎名義では6年ぶりのニューアルバム、「モンドチンキなこの世界」をリリース。名古屋東京ツアーを成功させる。
その後もトリックモンド、ウォーラス、ピエモンテルノと三本柱の活動が続き、ピエモンテルノで渡欧を三回(2017~2023)くりかえし、フランス、ドイツ、オーストリア、チェコ、ベルギーと五カ国で105日67本のライブを実現させ今にいたる。

 

 

②その他のキャリア

 

1972年、東京世田谷区奥沢に引っ越す

1977年4月、家の事情により大阪へわたる
高校、浪人と過ごし大谷大学時代より京都へ移り住む。

1986年某ホテルフロントマンとして社会勉強。

1988年よりライブスポットラグ取締役店長に。

1990年ごろよりストレス発散の滝めぐりを開始。

後、日本国300ほどの滝を網羅。

1995年諸事情によりラグ脱退。

初の海外滝めぐり、ニュージーランドへと出発。

1996年より世間とのシェルター、秘密基地、
ネガポジオープン(1996年7月24日)させる。

国内滝めぐり本格的となる。もう日本では満足いかず、

アメリカヨセミテへ出発。

その後カナディアンロッキーへ幾度となく出発。
巨大な滝への接近映像編集にあけくれる。(滝大図鑑)

 

並行して学生時代からの経験と仕入れた情報による
怪談トークにも火がつき、怖い話をするおっさんとして
リクエスト、オファーが頻繁に来て話題となる。

 

気が付けば60歳をこえ、自分の好きでやってきた様々なことすべてが、お金になっていないことに気づき、どうやってこれから日本国で暮らしていくのか思案に暮れている。

 

しかしジリ貧ではあるが、一日30時間はほしい、体が三つほしい...と死中に活で毎日忙しく楽しくぶれずに、

スキマが空き天と地がひっくり返ることを虎視眈々と狙っている。

 

 

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